手段としてのソフトウェア

作りたいものが見つからず不安なので,せめて何か蓄積したいと思いました。

会って、話すこと。を読んだ

 田中泰延さんの新著、「会って、話すこと。」を読みました。

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 今作もたいへんよかったです。おもしろくて、でもだんだん引き込まれて、最後には感動してしまいました。

 著者の田中泰延さん(Twitter:@hironobutnk)もご自身でおっしゃっていましたが、編集の今野良介さん(Twitter:@aikonnor)との、ほとんど共著のような本でした。おふたりの熱量を感じました。

 

自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術」という言葉が添えられています。読み終えてしみじみおかしかったのですが、本文中で「会話術」と呼べそうな記述は、ほぼこの一文で集約されてしまいます。しかし、この一文に至るまでのいろいろな話がおもしろくて、ちゃんと必要なのです。

 この本では、仕事の打ち合わせなどではなく、人と人として会話をするときには「距離を詰めよう」だとか「得をしよう」といった欲を出すものじゃない、自分語りも相手の内面に踏み込む必要もない、と言ってくれます。ただ、お互いの外にあるものについて話をすればいい、と。

 会話とは、なんと自由で軽やかなのでしょうか。でも、思い返すとその通りなのです。今野さんの文章で思い出しましたが、「ともだちとしゃべって楽しかった時間」は、いろんな話題へぽんぽんと飛び、目的も意図もなく、ただ目の前に提示された話題を楽しんでいただけだったのです。そんな会話にツッコミなどは不要です。ひたすらボケる、つまり飛躍した仮説を提示し続け、どんどん話を膨らませていればよかったのでした。

 

 しかし、この本は同時に、厳しい事実も書いてくれます。目の前の相手と、自分語りをせずに、させずに話題を転がすためには、知識が必要なのです。そして、その人がどういう人かという評価は、多くの場合、その人が話したことで決まってしまうのです。

 もちろん、普段から付き合いがあったり、非常に著名な人物であったりして、その人の成したことを知っている場合はその限りではないでしょう。しかし、「その人がどういう人か」という評価は、話す前の時間で決まるという意味では同じです。

 その人は何を読み、何を観て、何を考えたか。何を成したか。会話というのは、その結果です。つまり、ひとりの時間をどれだけ豊かに過ごしたかが、その人なのだということです。言葉として外に出てくる前の部分が大切なのです。私は、吉本隆明さんのことを思い出しました。ついでに申しますと、話題の引き出しが少なく、会話に苦手意識のある自分を振り返って、ちょっと落ち込みました。

 

 世の中には、「話のうまい人」がいます。明るく楽しく場を盛り上げるというのは素晴らしい力です。その人が積み重ねてきた力です。そのことを、もっと尊敬しようと思いました。そして、必ずしも話がうまくない人の話にも、今まで以上に耳を傾けたいと思いました。素晴らしい読書体験でした!