手段としてのソフトウェア

作りたいものが見つからず不安なので,せめて何か蓄積したいと思いました。

「『第九』のおはなし。」に行ってきた

 どうもこんにちは。さっぱりソフトウェアの話をしない当ブログ「手段としてのソフトウェア」ですが,今回も例に漏れずソフトウェアの話はしません。

 ですが,大丈夫です。かの山口周氏も「アートとサイエンスの調和が大切」というようなことを仰っています。オブジェクト指向だって,あれもろに哲学の影響受けてますよね。スーパークラスとはすなわちプラトン哲学におけるイデアでしょう。芸術に触れることもまた,ソフトウェアなのです。ただ,こういうことって,たいてい「アート側」の人が「サイエンス側」に向かって言っていて,逆にアート側の人もサイエンスやテクノロジーを身に着けるべきだ,という流れをあまり見かけないのは何故なのでしょう。不公平だと思いませんか?

 

 こちらのイベントでした。

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 階乗は,いや会場はなんと,あの千葉県は八街市です。「やちまた」と読みます。

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 わかりにくいですね。各種地図サイトの著作権周りの利用規約を読むのが面倒だったので手書きしました。著作権オレ。問題ない。いや問題あった。遠くないか?

 

 参加を申し込む時点では「千葉か。首都圏じゃないか。やったぜ!」と深く考えていませんでしたが,いざ経路を確認してびっくりしました。普段の通勤時間より20分も長いじゃないか。あれ?そんなに遠くないな。まさに近くも遠くもない。

 

 講師である田中泰延氏と第九といえば,こちらのコラムが有名です。

www.machikado-creative.jp

 

 「歓喜の歌」部分の歌詞を関西弁訳するという衝撃作ですが,それ以外の部分でも第九を鑑賞するうえで非常に助けになる情報がふんだんに盛り込まれた,すばらしい記事です。こちらを読むと,第九を聴きたくなる,そして自分でも歌ってみたくなること請け合いです。おもしろくて読みごたえのある,これだけで満足できる記事です。未読の方は,ぜひ一度お読みになると良いと思います。まだ本題に届いていません。

 

 ともかく,私は講演会に向けて先ほどの記事と,田中氏のご著書「読みたいことを,書けばいい。」を再読し,準備を始めました。

 ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を買い,

 

無理をするなと講師である田中泰延氏ご本人からたしなめていただき,

 

CD を買って何度も聞き,

 

満を持して会場に向かいました。

 

年末の日曜の八街は,静かでした。 

 

やっと会場に着きました。

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 受付を済ませ,おいしい軽食をいただき,開演を待ちます。こちら,既に少し食べた後です。食べ始めてから「あっ写真」となった。

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 会場である Nut's Up? さんの写真ですが,ございません。

我ながら何をやっているのかと思いますが, こういうブログを書こうと思っていなかったので仕方がありません。木の温かみがある,とても過ごしやすい空間でした。

blavobill.wixsite.com

 会場である部屋へ移動しまして,開演を待ちます。たまたまお隣に座った方もとても親切で,共通点といったら「田中泰延さんのフォロワー」くらいなのに,楽しくお話することができました。田中泰延さんすごい。

 さあ,いよいよ開演であります。

 はじめにお詫びしておきますが,長いです。今回の講演会,普通に撮影・録音禁止でしたので,ひたすら文章のみが続きます。 あと,あまりにお話とスライドがおもしろくてメモも早々にあきらめてしまいました。

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 取ったメモは「敬愛なるベートーヴェン」の一行だけ。

 そんなあいまいなレポートですが,ほかならぬ自分が忘れたくないので,覚えている限り書いていきます。もしお時間ありましたら,お付き合いくださいませ。あと間違いがあったら教えてください。速やかに直します。長すぎて誰も読まない気もしますが。

 

ベートーヴェン,その前に

 まずは定番のツカミをきちんと実施してくださいます。

「今日の私はフリー素材ではありません

 えっ!!?!?

「本日は足元のお悪い中ありがとうございます」

 快晴です!!

「これから始める仮想通貨」

 わあ楽しみ!!!!

「カワウソが体長50cmを超えるとラッコ,さらに大きくなるとビーバーと呼ばれますが,生物学的には同じ生き物です」

 よっ,待ってました!!!!

出世魚のようなものですね。ブリのようなものです。ところで,ボラは,オボコ→イナ→ボラ→トドというように名称が変化します」

 (本当)

「どうも,田中泰延です」

 (このフレーズ8回目くらい)

「『読みたいことを,書けばいい。』をね,10冊お買い上げの方には,この衝立のうらで密着金粉ダンスをね。会場でも販売がございます!」

 私,あと7冊!!

 

 これでもかと繰り出される定番に変化を織り交ぜたトークに,会場のテンションもダダ上がりであります。

 さらに,会場である八街市の話題も登場します。

 

千葉県でいうとここです」(だいたい真ん中やや上ですね)

「皆様どちらから?人口もね,今日この会場にお集まりの方を含めると100人くらいは増加していますよね」

「春にはピーナッツ畑からほこりがすごく舞うのでやちほこり,とも言われて。これ(写真)見て。ほこり,すごっ!!!」

 もう本当すごい。もはや濃霧

「地名の由来は明治時代に開拓が進められた折に,8番目にできた街ということで八街だそうですね。これは順番に

 1.初富(現在の鎌ヶ谷市) 8.八街(現在も八街市

 2.二和(現在の船橋市)  9.九美上(現在の香取市

 3.三咲(現在の船橋市) 10.十倉(現在の富里市

 4.豊四季(現在の柏市) 11.十余一(現在の白井市

 5.五香(現在の松戸市) 12.十余二(現在の柏市

 6.六実(現在の松戸市) 13.十余三(現在の成田市

 7.七栄(現在の富里市

このようになっていまして,八街だけが当時のまま!!」

 おお!!

「名産品のQナッツ。いただきました。おいしい落花生でした。なぜQか。Pの次がQだからQナッツなんですね。『愛(I)の前にはエッチ(H)がある』と同じ理論ですね!!わかりましたか?エッチが先なんですよ」

 わあ,論理的!!!

 確かに,どれも調べればわかる情報です。しかし,ただ情報を並べても,何もおもしろくはならない。きっと他にもいろいろなことを調べたうえで,これらのトピックを選び,言葉を選び,スライドを磨いたに違いありません。

 これに加えて,自著についても「糸氏重里さんの本に見える帯」「石原さとみに刺さった。本人はタイトルも著者もうろ覚えだったが」などたいへんおもしろい紹介がありました。

 気付けばこれらの話で45分が経過しました。ベートーヴェンも待ちくたびれたでしょう。いや,70分以上の曲を書く男ですから,これくらい大丈夫か。もちろん聴衆である我々は大丈夫です。なにせずっと笑っているのですから。

 

 ちなみに,「自己紹介は6回はやらないとダメ」という話もありましたが,たしかに,たいへん失礼なことながら,司会を務めてくださった女性の方のお名前が記憶にありません。6回は言ってほしかったです。なお,記憶にある限り,いちども「やっちまった!」というフレーズは使われませんでした。プライドを感じさせます。

 

・そして,ベートーヴェン

 じゅうぶんに場があたたまったところで,話はいよいよベートーヴェンへ移ります。

 以降は,特に断りがない場合は,文章中に出てくる知識は講演で田中さんがお話しになった内容です。でも,断りなく私個人の感想が入ります。お許しください。

 

 まずタイトル。「交響曲第九番短調 作品125」。大変シンプルです。「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」とは大違いです。

 そもそもベートーヴェンのことを楽聖と呼んだり,年末にこんなにベートーヴェンの第九が演奏される国は日本だけだそうです。日本人,苦労が好きだから。有名な交響曲第5番の冒頭(いわゆる「運命」の,ジャジャジャジャーン!ですね)も,ベートヴェンの弟子が「この音は何を表しているのですか」と聞いたら「運命は,このように扉をたたく」と答えたとされていますが,これも真偽がはっきりしないんだそうです。

 海外では,第九は夏に演奏されることもあります。というか,そもそもそんなに演奏されません。有名な指揮者であっても,第九を振ったことがないというのはざらにあるとのこと。なぜか。シンプルに長いからです。長くて大変な曲だからです。

 そもそも日本で年末に第九が演奏されるようになったきっかけは,終戦後のまだ苦しい時代に,楽団員たちが年を越せるように企画されたそうです。なぜか。パートが多くてみんな乗れるから。そして合唱団を呼べば,その家族も聴きに来る(=チケットが売れる)から。

 身も蓋もないといえばそうなのですが,それでもこうして伝統として定着し,今回の講演会のような機会も生まれるわけですから,私としてはたいへんうれしいです。

 

・生活の中の第九

 第九というメロディが,いかにわたしたちの生活に密着しているか,CM で使用された事例などもまじえて紹介してくださいました。たしかに Honda の CM はちょっとカッコよかった。でも,基本,第九だからOKという力技でもあった。赤ちゃんの声をサンプリングしたものとかね,あれはもうね,ずるいね。。。

 

・映像作品の中の第九

  他にも,映像作品でも使われる第九。有名なところではエヴァンゲリオンでしょうか。これは,後から第九が選ばれたのではなく,最初から第九をかけたかったのではないかとさえ思えるほど。他にはダイ・ハードや時計仕掛けのオレンジなどでも使われている。なぜか悪役が活躍する場面でかかることも多い。

 他にも黒澤明監督は,「映画は第九のようでなくてはならない」といい,しかし映画「赤ひげ」では「第九のようでなくてはならないのであって,第九そのものをかけてはいけない「第九っぽいテーマ曲を」ということでテーマ曲が制作されたそうです。たしかに・・・たしかに,そうかも。という曲です。ですが,これもまた名曲です。

 

・第九にまつわる作品

「敬愛なるベートーヴェン」「ベートーヴェン 不滅の恋」「バルトの楽園」などが紹介されます。どれも非常に興味をそそられる作品です。というか,私,バルトの楽園は観たはずなんだけどなあ。 

なお,「敬愛なるベートーヴェン」のトレイラー映像では,写譜師アンナを演じたダイアン・クルーガーがお召しになっていたドレスの広く開いた胸元に釘付けになってしまったなどということはありません。

 そして,クリムトの絵画「ベートーヴェン・フリーズ」です。第一楽章から第4楽章まで,現世の悦楽や空白,そして天上の歓喜へといたるまでの音楽を絵画で表現しています。「これをウィーンの美術館で観ながら,ヘッドホンで第九を聴いた経験は忘れられない」とのことでした。実にうらやましいですね!日本でもクリムト展が行われる際には精巧な模写だったりするそうですが,それでもやはり素晴らしい絵画だそうです。ぜひ私も体験してみたい。

 

・そして,第九そのものについて 

 こちらは,前のほうで紹介したこちらのコラムを参照していただいたほうがいいかもしれません。ここでは,私の記憶のかぎりで書いていきます。

 

 第九は,通しで聴くと早い人でも60分以上,普通は70分以上も演奏時間があります。また,同じ指揮者であっても若い時はテンポが速かったのに,歳をとると遅くなってくる,という場合もあります。なので,お歳を召した指揮者の演奏を好む人もいます。

 第九は,たくさんの CD,名盤といわれるものが出ています。200年前の作曲家なので,著作権もとうに切れ,レコード会社はウハウハです。なかでも定番と言われているものに,

 ・カラヤン指揮,ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

 ・バーンスタイン指揮,ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 ・フルトヴェングラー指揮,バイロイト管弦楽団

 ・佐渡裕指揮,新日本フィルハーモニー管弦楽団

 などがあります。

 このなかでもフルトヴェングラー指揮のものは独特の良さがあります。フルトヴェングラーは,第2次大戦中ナチスに協力していたということもあり,戦後は長く音楽活動が制限されていました。その期間を経て,1951年にバイロイト音楽祭で演奏されたものです。音源が古いために音質はあまりよくないのですが,もう,気持ちが前に突っ走りすぎてしまって,最後はぐしゃぐしゃっと終わるのです。ですが,それがすごくいいんです。

 

  ものごとには文脈というものがあります。日本の芸術に関する教育って、まず鑑賞させられて、それから「はい、感想を書きましょう」となるでしょう。あれはダメなんです。だって、文脈を学ばなくては、わかる訳がないんです。

 

 第九の第一楽章は,「宇宙のはじまりのような」「霧が晴れて遠くに山が見えてくるような」静かな静かな空虚5度の和音から始まります。空虚5度は2音だけなので,長調短調かの判断もつきません。というか,静かすぎていつ始まったかもわかりません。そして,現世の厳しさを表しているともいわれる,厳しい音楽へと展開していきます。

 

 第二楽章は,一転して陽気な音楽です。こういう部分をスケルツォといいますが,普通は交響曲におけるスケルツォは第三楽章に置かれます。それを覆したという意味で,ベートーヴェンの「古典派の集大成,ロマン派の走り」といわれる革新性が伺えます。

 

 第三楽章は緩徐楽章です。寝ます。しかし,ちょうどいいところでファンファーレが入ってベートーヴェンに起こされます。ベートヴェンが作った曲のなかでも,最も美しいといわれる部分です。とても静かできれいな曲です。

 

 いよいよ第四楽章です。ここでは,第一楽章から順に,ベートーヴェン自身がこの曲を振り返っていきます。第一楽章のフレーズが流れ,即座にコントラバスとチェロが否定する。「こんな音やないねん~もう聞いたから~」と。第二楽章が流れ,それも即座に否定する。第三楽章。これも否定する。「もうええねん~こんな音ちゃうねん~」。

 そして,やっと,小さな音で,あの「歓喜の歌」のメロディが流れます。

 ここからは,宗教音楽や古典派からベートヴェンに至るまでの音楽の歴史を振り返っていきます。

 まずは単旋律です。メロディだけ。そこにバッハの生み出した対位法を用いた「下のパート」が入ってきます。非常に美しい。それから徐々に徐々に音が増えていき,モーツァルトが生み出した第1・第2ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロといったオーケストレーションが加わっていきます。そしてさらに,ベートヴェンが生み出したオーケストラ全体で演奏する迫力ある場面へ移っていくのです。「俺ベートーヴェン!」です。

 ベートーヴェンはそれだけでは終わりません。オペラや合唱までも取り入れるわけです。当時交響曲に声が入るということはありませんでした。非常に画期的なことだったんです。

 

・第九を歌うということ

 「一万人の第九」という常識外れのイベントがあります。合唱団一万人です。佐渡裕さんが指揮をされます。この CD のジャケットをみてください。

 

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非常に大きい人ですよね。これなら一万人が相手でも振れる。ちなみにこの佐渡さんは,先ほど第九の定番でも紹介したバーンスタイン氏の最後のお弟子さんです。ちなみに,この佐渡さんのお弟子さん (お名前を失念してしまいました) とご一緒する機会がありまして,僕が取り持って10年ぶりの師弟再会を果たしたわけですね。するとなんと,服が同じ。さすがは師弟です。

  一万人の第九ですが,参加資格などはありません。申し込みをすると抽選の結果で参加できるかどうか決まります。僕は電●的な○○で 10 年連続で参加しましたが,参加は抽選です。参加できることになると,12回の練習に出席する必要があります。練習の時は500人ずつくらいに分かれて練習するので,佐渡裕さんと,今の僕とみなさんくらいの距離で,第九とは,第九の歌詞とは,歌うとはどういうことか,教えてもらえます。

 本番はもうね,すごいです。1万人の合唱団に対して聴衆は5000人なんですが,聴衆はもう,泣きます。ただ,歌っている人は泣いている暇はありません。次の歌うところがあるからね。ただ終わるとすごいです。ものすごい感動がある。

 第九を自分で歌うということによって,第九が自分のなかに入ってくるんです。歓喜が入ってくる。「フロイデ!!」なんです。日本語訳だと歓喜とかになりますが,うまくハマらない。「フロイデ!!」としか言えないんです。

 ぜひ,みなさんも一度,合唱で参加してみてください。とてもいいです。

 

・講演が終わって第二部~楽しいお食事の時間デス~ 

 田中さんはずっと,飲食もそこそこに,話しかけにきた人と笑顔でお話しされていました。私(筆者)もにこやかに応対していただきました。私に話の引き出しがないのに,田中さんは楽しくしてくださる。お名刺も頂戴し,非常にうれしかったです。ありがとうございました。

 また,お客さん同士の交流も盛んだったと思います。人見知りしがちな私でも,Missmystop モッズコートやスナワチで買った鞄を持っていたこともあり,たいへん楽しい時間を過ごすことができました。用意していただいたお料理もたいへん素敵で,「このままでは健康的になってしまう」と危惧するほどでした。

 

・最後に 

 すごくたのしいイベントでした!お越しくださった田中さん,企画してくださったきよまるさん,会場の Nut's Up? のみなさま,お相手してくださって,Twitter で相互フォローなんかもさせていただいたみなさま,ピッツバーグの両親,スタイリストのトム,以下略,本当にありがとうございました!!

 あと,もしかしてここまで読んでくださった方,長くとりとめない乱文にお付き合いいただき,本当にありがとうございました!!