手段としてのソフトウェア

作りたいものが見つからず不安なので,せめて何か蓄積したいと思いました。

夜と霧 を読んだ

ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」を読みました。

f:id:takumat1982:20190925122215j:plain


 医師であり心理学者である著者が,ナチス強制収容所に収容された経験を振り返り,できる限りの客観性と,実際に体験した主観性も合わせて考察し,書かれたものです。

 あまりにも有名な本ですし,いまごろ読んだのかと言われても仕方ありません。ですが,いまからでも読んでおいてよかったと,いまの自分にとっての救いも含まれている本だと思いました。

 本書は,はじめに「心理学者である自分がこの本を書くというのはどういう意味を持つか」を述べるところから始まります。そこから,収容所への移送,収容所へ到着した初期の段階,一定期間が経過した後の段階,解放される直前,そして解放されたあとについて,被収容者がどのような体験を経て,内面が変化していくかを述べています。

 正直にいって,前半部分を読んでいる間は,「なぜこの本の存在を知ってしまったんだ」と後悔するほど苦しかったです。

 

 

 とはいえ,外面的なことではなく,内面に焦点を当てて書かれた本であり,必要以上に収容所生活の詳細が書かれているわけではありません。しかし,だからこそ,人が,あるいは自分が,強制収容所のような,自分の肉体と名前以外の一切を(単に所持品にかぎらず,社会的なつながりや身分,尊厳すらも)奪われた場合について思わずにはいられません。

 はたして人は,いかにして状況へ適応するのか,どのように自分を守り,あるいはどのように「壊れて」しまうのか。とにかく苦しいです。

 しかし,全体の半分あたりまで読み進めていくと,次第に内容が変わってきます。筆者がおかれている状況は引き続き最悪ですが,筆者が当時を振り返って照らし出す被収容者の内面が,たとえ多くはなかったとしても,すくなくともいく人かの内面が,いかに素晴らしいものへ変化を遂げたかが描かれます。

 それは,生きる意味そのものであり,自分を取り巻くすべてに意味を見出し,目的のために生きるという姿勢であります。文章はますます凄みを増し,私の目には,大げさではなく,光すら感じられました。

  私の未熟な力では本書の魅力をとても伝えられませんし,既に多くの先人たちが絶賛するところでありますから,以上のような,自分の個人的な読書体験を記した次第です。

 読むには覚悟が必要な本ですが,諦めず読みとおしたならば,必ず後悔はしないと言えます。