手段としてのソフトウェア

作りたいものが見つからず不安なので,せめて何か蓄積したいと思いました。

読みたいことを,書けばいい。を読んだ

田中泰延さん  (@hironobutnk) | Twitter  初のご著書である,「読みたいことを,書けばいい。」を読みました。たいへんおもしろかったです。感想文のような,ファンレターのような文章を書きたいと思います。

www.diamond.co.jp

 

 帯には「シンプルな文章術」と書いてありますし,上記リンク中の煽り文句も「『依頼殺到,読者熱狂』する著者が書いた本」なのか,「この本を読めばあなたがそうなれる」と言っているのかが微妙で,わざとじゃないかと疑っています。話が逸れました。

 ともかく,私は「ライター目指して実用書を買った」というわけではありません。何かの役に立てようとかそういう意図はなく,前回の「カウボーイ・サマー」と同じように,ただ読みたくて読みました。

 作者の田中泰延さんが面白くて魅力的な方なので,「この人はいったい何をおもしろいと思い,どのように文章を書いているのか」を知りたく,この本もおもしろいだろうという確信もあり,読みました。するとどうでしょう。なんだか,役に立ってしまいそうです。

 

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うっかりメモなど取ってしまいました

 本書「読みたいことを,書けばいい」は,本編と付録のコラムで構成されていますが,いずれもたいへんおもしろいです。述べられている内容は非常にわかりやすいですし,ひとつひとつが短くまとめられていて,たいへん読みやすいです。また,著者独特のユーモアに溢れた文章で,何度も笑ってしまいます。

  本書は,異論はあると思いますが,このような流れで進みます。

  • 自分の文章の分野を『定義する』ということ
  • 自分のために,自分がおもしろいと思えるものを書くということ。他者からの評価は,目的にはならないということ
  • 書くために調べること 『一次資料に当たる』『巨人の肩に乗る』
  • 書く対象を愛するということ
  • なぜ書くのかということ

 そして,「いま,そこで」書くのだ,と締めくくられます。

 

 わたしは思いました。これは,そのまま「ソフトウェア」に置き換えることもできるぞ,と。きっと何かを作っている人なら,自分に引き寄せて読むことができる本だぞ,と。

 わたしは「自分で読みたくないようなコードを書いてはならない」ことを知っています。「一次資料(公式ドキュメントや,メーカのデータシート等)に当たることの大切さ」を知っています。つくるものを好きになることの大切さ,「自分が欲しいと思ったものを,自分の満足のいくやり方で,最高に楽しみながらソフトウェアを書き,結果的に世界を変えた」人たちを知っています。

 そして,「いつか書こう」と思っているだけでは,永遠に書けないことも知っています。読み物としてたいへんおもしろいだけでなく,なんとも耳の痛い話ではありませんか。

 

 また,本書の終盤に進むにつれて,著者の孤独,考えの根に当たる部分が現れてくるのも何ともスリリングでした。本文中にも著者のツイートにも出てくる表現で「書くことは世界を狭くすることだ」というものがあるのですが,私はずっと良くわからずにいました。それがこの本を読むことで理解できました。

 筆者にとって書くことは,「まだ知らないこと,つまり無限に可能性がある『余白』にあたる部分を,調べて書くことで確定させてしまうこと」なのだと思いました。

 ソフトウェアも「どう作ろうかな,あんな機能やこんな機能もあるといいな」と考えているうちは世界は広がっていきますが,実際につくることで,世界は一定の範囲に確定してしまいます。よくわかります。

 

 Twitter 上のハッシュタグ#読みたいことを書けばいい」を見ていきますと,たくさんの方が本書を読み,楽しんでいらっしゃることがわかります。また,感想なども短くまとめるか,読んだ人にはわかるようなユーモアで述べていらっしゃいます。わたしもそうできればカッコよかったのですが,つい,書いてみたくなってしまいました。

 たいへん,おもしろかったです。