会って、話すこと。を読んだ
田中泰延さんの新著、「会って、話すこと。」を読みました。
今作もたいへんよかったです。おもしろくて、でもだんだん引き込まれて、最後には感動してしまいました。
読み終えました。前作「読みたいことを、書けばいい。」が、希望を持って働くための本なのだとしたら、今作は、希望を持って生きるための本なのかもしれないと思いました。#会って話すこと
— t.matsuyama (@takumat_) September 15, 2021
著者の田中泰延さん(Twitter:@hironobutnk)もご自身でおっしゃっていましたが、編集の今野良介さん(Twitter:@aikonnor)との、ほとんど共著のような本でした。おふたりの熱量を感じました。
「自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術」という言葉が添えられています。読み終えてしみじみおかしかったのですが、本文中で「会話術」と呼べそうな記述は、ほぼこの一文で集約されてしまいます。しかし、この一文に至るまでのいろいろな話がおもしろくて、ちゃんと必要なのです。
この本では、仕事の打ち合わせなどではなく、人と人として会話をするときには「距離を詰めよう」だとか「得をしよう」といった欲を出すものじゃない、自分語りも相手の内面に踏み込む必要もない、と言ってくれます。ただ、お互いの外にあるものについて話をすればいい、と。
会話とは、なんと自由で軽やかなのでしょうか。でも、思い返すとその通りなのです。今野さんの文章で思い出しましたが、「ともだちとしゃべって楽しかった時間」は、いろんな話題へぽんぽんと飛び、目的も意図もなく、ただ目の前に提示された話題を楽しんでいただけだったのです。そんな会話にツッコミなどは不要です。ひたすらボケる、つまり飛躍した仮説を提示し続け、どんどん話を膨らませていればよかったのでした。
しかし、この本は同時に、厳しい事実も書いてくれます。目の前の相手と、自分語りをせずに、させずに話題を転がすためには、知識が必要なのです。そして、その人がどういう人かという評価は、多くの場合、その人が話したことで決まってしまうのです。
もちろん、普段から付き合いがあったり、非常に著名な人物であったりして、その人の成したことを知っている場合はその限りではないでしょう。しかし、「その人がどういう人か」という評価は、話す前の時間で決まるという意味では同じです。
その人は何を読み、何を観て、何を考えたか。何を成したか。会話というのは、その結果です。つまり、ひとりの時間をどれだけ豊かに過ごしたかが、その人なのだということです。言葉として外に出てくる前の部分が大切なのです。私は、吉本隆明さんのことを思い出しました。ついでに申しますと、話題の引き出しが少なく、会話に苦手意識のある自分を振り返って、ちょっと落ち込みました。
世の中には、「話のうまい人」がいます。明るく楽しく場を盛り上げるというのは素晴らしい力です。その人が積み重ねてきた力です。そのことを、もっと尊敬しようと思いました。そして、必ずしも話がうまくない人の話にも、今まで以上に耳を傾けたいと思いました。素晴らしい読書体験でした!
アラフォーが1年以上,緑でうごうごしている話
この記事は,Competitive Programming Advent Calender 9 日目の記事として作成しました.
昨日は hotpepsi さんの「Xcodeで競技プログラミング」です.たいへん有益な記事です.ぜひご覧ください.
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おことわり
完全に個人の主観による,お気持ち記事です.有益な内容は何もありません.なんだかつい魔が差して登録してしまいました.申し訳ない気持ちでいっぱいです.
自己紹介
AtCoder のプロフィールはこちらです.非情報系の(いちおう)理系の学部を卒業し,ソフトウェア開発者として 15 年ほど働いているアラフォーのおじさんです.
現状
AtCoder Scores 様でグラフ化いたしますと,ご覧の通り,非常に冴えないムーブをしています.
2020 年の 2 月ごろに,一度心が折れているのが見て取れます.その後,赤枠で囲んだあたりを見ていただきたいのですが,2020 年 6 月ごろに,何を思ったのか急激にやる気を出しているのがわかります.そして,やる気と反比例してレートが下がっているのもわかります.茶色に落ちそうでした.AtCoder おもしろいね.
どんな練習をしたか
AtCoder Problems 様を活用した過去問を解く練習はもちろんですが,以下の書籍なども使って勉強しました.
- プログラミングコンテストチャレンジブック(通称:蟻本)(初級編まで+α)
- アルゴリズムとデータ構造(通称:けんちょん本)
- プログラマの数学(結城浩 先生)
以下のサイト様にも大変お世話になっています.
- けんちょんさんの Qiita,はてなブログ
- アルゴリズム・ロジック
- 他,解説記事を書いてくださっている皆様
コンテストや過去問練習時に自力で使用したことがある,身に着いたと思われるアルゴリズムとして,思いつく内容をざっと列挙します.もう少しある気もします.
- 二分探索
- 累積和・累積積・累積XOR
- しゃくとり法
- ランレングス圧縮・座標圧縮
- bit 全探索
- DFS・BFS・01BFS
- ダイクストラ法,ワーシャル・フロイド法
- Union-Find
- 初歩的な動的計画法,bit DP,桁 DP
- BIT・セグメント木・遅延伝播セグメント木
- 半分全列挙
聞いてた話と違う
いちばん書きたかった話はここなのですが,水色ってこんなに遠いんでしたっけ?
ひとえに私の頭の出来が残念なせい,といえばその通りです.ただ,私が AtCoder に登録した 2019 年 3 月くらいの時点では,「ABC-C まで安定して早解き出来れば水」とか,「職業プログラマで緑は最低ライン」みたいな風潮だったのです.そして,2019 年前半くらいまでは,確かにそんな感じもしていたのです.
しかし,AtCoder の参加者が急激に増加し,ABC が 2 回連続 unrated みたいな時期を経て,なんだか雰囲気が変わってきた感じがしました.2020 年の 4 月ごろを境に,その印象はさらに強くなりました.
自分としては力がついてきている実感はあるのに,他の参加者たちが,明らかに自分より速く成長している.水色になるのを目標に頑張ってきたが,どうもゴールが遠ざかっている気がする.AtCoder おもしろいね.
だから何と言われればそれまでですが
もし私と同じように感じて,緑以下のレート帯で苦しんでいる人がいたら,「つらいのはあなただけじゃない」と傷を舐め合いたいです.弱いおじさんは孤独なのです.
結局は,「レートに一喜一憂するのはやめて,ゲームとして楽しもう」というありきたりな結論におちつきます.ただ,心からそう思えるようになるまで,職業プログラマとしてのキャリアが邪魔をして,結構苦しかったのです.この記事が,どこかにいる同志の慰めに少しでもなれば幸いです.いや,ならないか.なりませんね.
おわりに
AtCoder には本当に感謝しています.わけあって 2 年半ほど休職したのですが,復職に向けたリハビリのつもりで始めた AtCoder に本当に救われました.AtCoder を始めてから明らかに体調が回復し始めました.自分はソフトウェアの仕事が好きなんだと思い出させてもらえました.感謝してもしきれません.
他の強い皆様の充実した記事と比べると,私など場違いもいいところで,たいへん恐縮です.まあ,こんなおっさんもいるんだ,たいへんだね,と笑ってください.
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Advent Calender 次の記事は imuraya さんの「競技育児と競プロやって一年で何とか緑になった話」です.タイトルだけでどれだけたいへんなのかと震えがきます.たのしみですね!
Kaggle に挑戦する
ふと思い立ち,機械学習を勉強しようと思った。以前から Kaggle というサイトがあることは知っていたし,そもそもこのブログを始めたきっかけはデータ解析の勉強過程を書こうと思ったことだった。思えば遠回りをしたものだが,どうにか戻ってこられたので良しとしたい。
手始めに,おそらく 2015 年ごろに購入したまま積んでいた「実践 機械学習システム」を読んだ。
せっかく「実践」なのに何も実践せず,とりあえず読み通した。これから実際にプログラミングしていく際に,何度も戻って参照しようと考えている。
次に「Kaggle で勝つ データ分析の技術」を読み始めた。
こちらはさすがに,少しは手を動かしながら読んでいる。この本の「モデルの作成」まで読んだら,試しにコンペティションに参加してみようと思っている。
我ながら回りくどい気もするけれども,まったくのド素人が1から勉強しているのだ。これくらいの回り道は大した差ではない。
35歳でメンタルをやられて,2年半も休職していたときは,この先どうなることかと思ったものだが,こうして日々勉強する暮らしに戻れた。うれしくて仕方がない。これからの人生も,ソフトウェアで食っていくつもりだ。勉強するぞ。
「『第九』のおはなし。」に行ってきた
どうもこんにちは。さっぱりソフトウェアの話をしない当ブログ「手段としてのソフトウェア」ですが,今回も例に漏れずソフトウェアの話はしません。
ですが,大丈夫です。かの山口周氏も「アートとサイエンスの調和が大切」というようなことを仰っています。オブジェクト指向だって,あれもろに哲学の影響受けてますよね。スーパークラスとはすなわちプラトン哲学におけるイデアでしょう。芸術に触れることもまた,ソフトウェアなのです。ただ,こういうことって,たいてい「アート側」の人が「サイエンス側」に向かって言っていて,逆にアート側の人もサイエンスやテクノロジーを身に着けるべきだ,という流れをあまり見かけないのは何故なのでしょう。不公平だと思いませんか?
こちらのイベントでした。
階乗は,いや会場はなんと,あの千葉県は八街市です。「やちまた」と読みます。
わかりにくいですね。各種地図サイトの著作権周りの利用規約を読むのが面倒だったので手書きしました。著作権オレ。問題ない。いや問題あった。遠くないか?
参加を申し込む時点では「千葉か。首都圏じゃないか。やったぜ!」と深く考えていませんでしたが,いざ経路を確認してびっくりしました。普段の通勤時間より20分も長いじゃないか。あれ?そんなに遠くないな。まさに近くも遠くもない。
講師である田中泰延氏と第九といえば,こちらのコラムが有名です。
「歓喜の歌」部分の歌詞を関西弁訳するという衝撃作ですが,それ以外の部分でも第九を鑑賞するうえで非常に助けになる情報がふんだんに盛り込まれた,すばらしい記事です。こちらを読むと,第九を聴きたくなる,そして自分でも歌ってみたくなること請け合いです。おもしろくて読みごたえのある,これだけで満足できる記事です。未読の方は,ぜひ一度お読みになると良いと思います。まだ本題に届いていません。
ともかく,私は講演会に向けて先ほどの記事と,田中氏のご著書「読みたいことを,書けばいい。」を再読し,準備を始めました。
「読みたいことを、書けばいい。」を再読した。最初はkindleで読んだのだけど、今度は紙で。
— t.matsuyama (@takumat_) 2019年12月12日
文字の大きさやフォントの雰囲気、本の重み、ページを繰る手応え、いろいろちがった。
やっぱりおもしろかったし、ちょっと泣けた。
そして年末の第九講演会に向けて ジャン・クリストフ を買った。挑戦だ。
無理をするなと講師である田中泰延氏ご本人からたしなめていただき,
ありがとうございます😊
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2019年12月12日
あ、『ジャン・クリストフ』は長すぎますよねえ笑
まずは同じロマン・ロランの、短い『ベートーヴェンの生涯』をぜひ!!
これなら1日でなんとかなります! https://t.co/Z7jxEgBLK7
CD を買って何度も聞き,
今はカラヤン御大だぜイエーイ pic.twitter.com/8x4jKlqi0J
— t.matsuyama (@takumat_) 2019年12月21日
満を持して会場に向かいました。
わかってはいたことだけど、八街遠いな(笑)
— t.matsuyama (@takumat_) 2019年12月29日
年末の日曜の八街は,静かでした。
昨日伺った八街の駅前あたり。よく晴れて静かな佇まいだった。 pic.twitter.com/aVBv5L4EMt
— t.matsuyama (@takumat_) 2019年12月30日
やっと会場に着きました。
受付を済ませ,おいしい軽食をいただき,開演を待ちます。こちら,既に少し食べた後です。食べ始めてから「あっ写真」となった。
会場である Nut's Up? さんの写真ですが,ございません。
我ながら何をやっているのかと思いますが, こういうブログを書こうと思っていなかったので仕方がありません。木の温かみがある,とても過ごしやすい空間でした。
会場である部屋へ移動しまして,開演を待ちます。たまたまお隣に座った方もとても親切で,共通点といったら「田中泰延さんのフォロワー」くらいなのに,楽しくお話することができました。田中泰延さんすごい。
さあ,いよいよ開演であります。
はじめにお詫びしておきますが,長いです。今回の講演会,普通に撮影・録音禁止でしたので,ひたすら文章のみが続きます。 あと,あまりにお話とスライドがおもしろくてメモも早々にあきらめてしまいました。
取ったメモは「敬愛なるベートーヴェン」の一行だけ。
そんなあいまいなレポートですが,ほかならぬ自分が忘れたくないので,覚えている限り書いていきます。もしお時間ありましたら,お付き合いくださいませ。あと間違いがあったら教えてください。速やかに直します。長すぎて誰も読まない気もしますが。
・ベートーヴェン,その前に
まずは定番のツカミをきちんと実施してくださいます。
「今日の私はフリー素材ではありません」
えっ!!?!?
「本日は足元のお悪い中ありがとうございます」
快晴です!!
「これから始める仮想通貨」
わあ楽しみ!!!!
「カワウソが体長50cmを超えるとラッコ,さらに大きくなるとビーバーと呼ばれますが,生物学的には同じ生き物です」
よっ,待ってました!!!!
「出世魚のようなものですね。ブリのようなものです。ところで,ボラは,オボコ→イナ→ボラ→トドというように名称が変化します」
(本当)
「どうも,田中泰延です」
(このフレーズ8回目くらい)
「『読みたいことを,書けばいい。』をね,10冊お買い上げの方には,この衝立のうらで密着金粉ダンスをね。会場でも販売がございます!」
私,あと7冊!!
これでもかと繰り出される定番に変化を織り交ぜたトークに,会場のテンションもダダ上がりであります。
さらに,会場である八街市の話題も登場します。
「千葉県でいうとここです」(だいたい真ん中やや上ですね)
「皆様どちらから?人口もね,今日この会場にお集まりの方を含めると100人くらいは増加していますよね」
「春にはピーナッツ畑からほこりがすごく舞うのでやちほこり,とも言われて。これ(写真)見て。ほこり,すごっ!!!」
もう本当すごい。もはや濃霧。
「地名の由来は明治時代に開拓が進められた折に,8番目にできた街ということで八街だそうですね。これは順番に
7.七栄(現在の富里市)
このようになっていまして,八街だけが当時のまま!!」
おお!!
「名産品のQナッツ。いただきました。おいしい落花生でした。なぜQか。Pの次がQだからQナッツなんですね。『愛(I)の前にはエッチ(H)がある』と同じ理論ですね!!わかりましたか?エッチが先なんですよ」
わあ,論理的!!!
確かに,どれも調べればわかる情報です。しかし,ただ情報を並べても,何もおもしろくはならない。きっと他にもいろいろなことを調べたうえで,これらのトピックを選び,言葉を選び,スライドを磨いたに違いありません。
これに加えて,自著についても「糸氏重里さんの本に見える帯」「石原さとみに刺さった。本人はタイトルも著者もうろ覚えだったが」などたいへんおもしろい紹介がありました。
気付けばこれらの話で45分が経過しました。ベートーヴェンも待ちくたびれたでしょう。いや,70分以上の曲を書く男ですから,これくらい大丈夫か。もちろん聴衆である我々は大丈夫です。なにせずっと笑っているのですから。
ちなみに,「自己紹介は6回はやらないとダメ」という話もありましたが,たしかに,たいへん失礼なことながら,司会を務めてくださった女性の方のお名前が記憶にありません。6回は言ってほしかったです。なお,記憶にある限り,いちども「やっちまった!」というフレーズは使われませんでした。プライドを感じさせます。
・そして,ベートーヴェン
じゅうぶんに場があたたまったところで,話はいよいよベートーヴェンへ移ります。
以降は,特に断りがない場合は,文章中に出てくる知識は講演で田中さんがお話しになった内容です。でも,断りなく私個人の感想が入ります。お許しください。
まずタイトル。「交響曲第九番 二短調 作品125」。大変シンプルです。「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」とは大違いです。
そもそもベートーヴェンのことを楽聖と呼んだり,年末にこんなにベートーヴェンの第九が演奏される国は日本だけだそうです。日本人,苦労が好きだから。有名な交響曲第5番の冒頭(いわゆる「運命」の,ジャジャジャジャーン!ですね)も,ベートヴェンの弟子が「この音は何を表しているのですか」と聞いたら「運命は,このように扉をたたく」と答えたとされていますが,これも真偽がはっきりしないんだそうです。
海外では,第九は夏に演奏されることもあります。というか,そもそもそんなに演奏されません。有名な指揮者であっても,第九を振ったことがないというのはざらにあるとのこと。なぜか。シンプルに長いからです。長くて大変な曲だからです。
そもそも日本で年末に第九が演奏されるようになったきっかけは,終戦後のまだ苦しい時代に,楽団員たちが年を越せるように企画されたそうです。なぜか。パートが多くてみんな乗れるから。そして合唱団を呼べば,その家族も聴きに来る(=チケットが売れる)から。
身も蓋もないといえばそうなのですが,それでもこうして伝統として定着し,今回の講演会のような機会も生まれるわけですから,私としてはたいへんうれしいです。
・生活の中の第九
第九というメロディが,いかにわたしたちの生活に密着しているか,CM で使用された事例などもまじえて紹介してくださいました。たしかに Honda の CM はちょっとカッコよかった。でも,基本,第九だからOKという力技でもあった。赤ちゃんの声をサンプリングしたものとかね,あれはもうね,ずるいね。。。
・映像作品の中の第九
他にも,映像作品でも使われる第九。有名なところではエヴァンゲリオンでしょうか。これは,後から第九が選ばれたのではなく,最初から第九をかけたかったのではないかとさえ思えるほど。他にはダイ・ハードや時計仕掛けのオレンジなどでも使われている。なぜか悪役が活躍する場面でかかることも多い。
他にも黒澤明監督は,「映画は第九のようでなくてはならない」といい,しかし映画「赤ひげ」では「第九のようでなくてはならないのであって,第九そのものをかけてはいけない」「第九っぽいテーマ曲を」ということでテーマ曲が制作されたそうです。たしかに・・・たしかに,そうかも。という曲です。ですが,これもまた名曲です。
・第九にまつわる作品
「敬愛なるベートーヴェン」「ベートーヴェン 不滅の恋」「バルトの楽園」などが紹介されます。どれも非常に興味をそそられる作品です。というか,私,バルトの楽園は観たはずなんだけどなあ。
なお,「敬愛なるベートーヴェン」のトレイラー映像では,写譜師アンナを演じたダイアン・クルーガーがお召しになっていたドレスの広く開いた胸元に釘付けになってしまったなどということはありません。
そして,クリムトの絵画「ベートーヴェン・フリーズ」です。第一楽章から第4楽章まで,現世の悦楽や空白,そして天上の歓喜へといたるまでの音楽を絵画で表現しています。「これをウィーンの美術館で観ながら,ヘッドホンで第九を聴いた経験は忘れられない」とのことでした。実にうらやましいですね!日本でもクリムト展が行われる際には精巧な模写だったりするそうですが,それでもやはり素晴らしい絵画だそうです。ぜひ私も体験してみたい。
・そして,第九そのものについて
こちらは,前のほうで紹介したこちらのコラムを参照していただいたほうがいいかもしれません。ここでは,私の記憶のかぎりで書いていきます。
第九は,通しで聴くと早い人でも60分以上,普通は70分以上も演奏時間があります。また,同じ指揮者であっても若い時はテンポが速かったのに,歳をとると遅くなってくる,という場合もあります。なので,お歳を召した指揮者の演奏を好む人もいます。
第九は,たくさんの CD,名盤といわれるものが出ています。200年前の作曲家なので,著作権もとうに切れ,レコード会社はウハウハです。なかでも定番と言われているものに,
などがあります。
このなかでもフルトヴェングラー指揮のものは独特の良さがあります。フルトヴェングラーは,第2次大戦中ナチスに協力していたということもあり,戦後は長く音楽活動が制限されていました。その期間を経て,1951年にバイロイト音楽祭で演奏されたものです。音源が古いために音質はあまりよくないのですが,もう,気持ちが前に突っ走りすぎてしまって,最後はぐしゃぐしゃっと終わるのです。ですが,それがすごくいいんです。
ものごとには文脈というものがあります。日本の芸術に関する教育って、まず鑑賞させられて、それから「はい、感想を書きましょう」となるでしょう。あれはダメなんです。だって、文脈を学ばなくては、わかる訳がないんです。
第九の第一楽章は,「宇宙のはじまりのような」「霧が晴れて遠くに山が見えてくるような」静かな静かな空虚5度の和音から始まります。空虚5度は2音だけなので,長調か短調かの判断もつきません。というか,静かすぎていつ始まったかもわかりません。そして,現世の厳しさを表しているともいわれる,厳しい音楽へと展開していきます。
第二楽章は,一転して陽気な音楽です。こういう部分をスケルツォといいますが,普通は交響曲におけるスケルツォは第三楽章に置かれます。それを覆したという意味で,ベートーヴェンの「古典派の集大成,ロマン派の走り」といわれる革新性が伺えます。
第三楽章は緩徐楽章です。寝ます。しかし,ちょうどいいところでファンファーレが入ってベートーヴェンに起こされます。ベートヴェンが作った曲のなかでも,最も美しいといわれる部分です。とても静かできれいな曲です。
いよいよ第四楽章です。ここでは,第一楽章から順に,ベートーヴェン自身がこの曲を振り返っていきます。第一楽章のフレーズが流れ,即座にコントラバスとチェロが否定する。「こんな音やないねん~もう聞いたから~」と。第二楽章が流れ,それも即座に否定する。第三楽章。これも否定する。「もうええねん~こんな音ちゃうねん~」。
そして,やっと,小さな音で,あの「歓喜の歌」のメロディが流れます。
ここからは,宗教音楽や古典派からベートヴェンに至るまでの音楽の歴史を振り返っていきます。
まずは単旋律です。メロディだけ。そこにバッハの生み出した対位法を用いた「下のパート」が入ってきます。非常に美しい。それから徐々に徐々に音が増えていき,モーツァルトが生み出した第1・第2ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロといったオーケストレーションが加わっていきます。そしてさらに,ベートヴェンが生み出したオーケストラ全体で演奏する迫力ある場面へ移っていくのです。「俺ベートーヴェン!」です。
ベートーヴェンはそれだけでは終わりません。オペラや合唱までも取り入れるわけです。当時交響曲に声が入るということはありませんでした。非常に画期的なことだったんです。
・第九を歌うということ
「一万人の第九」という常識外れのイベントがあります。合唱団一万人です。佐渡裕さんが指揮をされます。この CD のジャケットをみてください。
非常に大きい人ですよね。これなら一万人が相手でも振れる。ちなみにこの佐渡さんは,先ほど第九の定番でも紹介したバーンスタイン氏の最後のお弟子さんです。ちなみに,この佐渡さんのお弟子さん (お名前を失念してしまいました) とご一緒する機会がありまして,僕が取り持って10年ぶりの師弟再会を果たしたわけですね。するとなんと,服が同じ。さすがは師弟です。
一万人の第九ですが,参加資格などはありません。申し込みをすると抽選の結果で参加できるかどうか決まります。僕は電●的な○○で 10 年連続で参加しましたが,参加は抽選です。参加できることになると,12回の練習に出席する必要があります。練習の時は500人ずつくらいに分かれて練習するので,佐渡裕さんと,今の僕とみなさんくらいの距離で,第九とは,第九の歌詞とは,歌うとはどういうことか,教えてもらえます。
本番はもうね,すごいです。1万人の合唱団に対して聴衆は5000人なんですが,聴衆はもう,泣きます。ただ,歌っている人は泣いている暇はありません。次の歌うところがあるからね。ただ終わるとすごいです。ものすごい感動がある。
第九を自分で歌うということによって,第九が自分のなかに入ってくるんです。歓喜が入ってくる。「フロイデ!!」なんです。日本語訳だと歓喜とかになりますが,うまくハマらない。「フロイデ!!」としか言えないんです。
ぜひ,みなさんも一度,合唱で参加してみてください。とてもいいです。
・講演が終わって第二部~楽しいお食事の時間デス~
田中さんはずっと,飲食もそこそこに,話しかけにきた人と笑顔でお話しされていました。私(筆者)もにこやかに応対していただきました。私に話の引き出しがないのに,田中さんは楽しくしてくださる。お名刺も頂戴し,非常にうれしかったです。ありがとうございました。
また,お客さん同士の交流も盛んだったと思います。人見知りしがちな私でも,Missmystop モッズコートやスナワチで買った鞄を持っていたこともあり,たいへん楽しい時間を過ごすことができました。用意していただいたお料理もたいへん素敵で,「このままでは健康的になってしまう」と危惧するほどでした。
・最後に
すごくたのしいイベントでした!お越しくださった田中さん,企画してくださったきよまるさん,会場の Nut's Up? のみなさま,お相手してくださって,Twitter で相互フォローなんかもさせていただいたみなさま,ピッツバーグの両親,スタイリストのトム,以下略,本当にありがとうございました!!
あと,もしかしてここまで読んでくださった方,長くとりとめない乱文にお付き合いいただき,本当にありがとうございました!!
夜と霧 を読んだ
ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」を読みました。
医師であり心理学者である著者が,ナチスの強制収容所に収容された経験を振り返り,できる限りの客観性と,実際に体験した主観性も合わせて考察し,書かれたものです。
あまりにも有名な本ですし,いまごろ読んだのかと言われても仕方ありません。ですが,いまからでも読んでおいてよかったと,いまの自分にとっての救いも含まれている本だと思いました。
本書は,はじめに「心理学者である自分がこの本を書くというのはどういう意味を持つか」を述べるところから始まります。そこから,収容所への移送,収容所へ到着した初期の段階,一定期間が経過した後の段階,解放される直前,そして解放されたあとについて,被収容者がどのような体験を経て,内面が変化していくかを述べています。
正直にいって,前半部分を読んでいる間は,「なぜこの本の存在を知ってしまったんだ」と後悔するほど苦しかったです。
「夜と霧」、「第一段階」の初めの方で既に挫折しそうなんだけど
— t.matsuyama (@takumat_) September 22, 2019
「夜と霧」を少しずつ読んでいる。この本の存在を知ってしまったことを後悔している。しかし、なんとしても読み通す。
— t.matsuyama (@takumat_) September 23, 2019
とはいえ,外面的なことではなく,内面に焦点を当てて書かれた本であり,必要以上に収容所生活の詳細が書かれているわけではありません。しかし,だからこそ,人が,あるいは自分が,強制収容所のような,自分の肉体と名前以外の一切を(単に所持品にかぎらず,社会的なつながりや身分,尊厳すらも)奪われた場合について思わずにはいられません。
はたして人は,いかにして状況へ適応するのか,どのように自分を守り,あるいはどのように「壊れて」しまうのか。とにかく苦しいです。
しかし,全体の半分あたりまで読み進めていくと,次第に内容が変わってきます。筆者がおかれている状況は引き続き最悪ですが,筆者が当時を振り返って照らし出す被収容者の内面が,たとえ多くはなかったとしても,すくなくともいく人かの内面が,いかに素晴らしいものへ変化を遂げたかが描かれます。
それは,生きる意味そのものであり,自分を取り巻くすべてに意味を見出し,目的のために生きるという姿勢であります。文章はますます凄みを増し,私の目には,大げさではなく,光すら感じられました。
ニーチェは「なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きるかことにも耐える」と言ったそうだ。
— t.matsuyama (@takumat_) September 24, 2019
この問にはひとりひとり、それぞれの答えがあって、どんな運命も唯一であり比類ないものなんだと。
「夜と霧」すごい。だんだん輝くばかりの凄みを帯びて、何もかも剥ぎ取られた末に残る内面の自由
私の未熟な力では本書の魅力をとても伝えられませんし,既に多くの先人たちが絶賛するところでありますから,以上のような,自分の個人的な読書体験を記した次第です。
読むには覚悟が必要な本ですが,諦めず読みとおしたならば,必ず後悔はしないと言えます。
読みたいことを,書けばいい。を読んだ
田中泰延さん (@hironobutnk) | Twitter 初のご著書である,「読みたいことを,書けばいい。」を読みました。たいへんおもしろかったです。感想文のような,ファンレターのような文章を書きたいと思います。
帯には「シンプルな文章術」と書いてありますし,上記リンク中の煽り文句も「『依頼殺到,読者熱狂』する著者が書いた本」なのか,「この本を読めばあなたがそうなれる」と言っているのかが微妙で,わざとじゃないかと疑っています。話が逸れました。
ともかく,私は「ライター目指して実用書を買った」というわけではありません。何かの役に立てようとかそういう意図はなく,前回の「カウボーイ・サマー」と同じように,ただ読みたくて読みました。
作者の田中泰延さんが面白くて魅力的な方なので,「この人はいったい何をおもしろいと思い,どのように文章を書いているのか」を知りたく,この本もおもしろいだろうという確信もあり,読みました。するとどうでしょう。なんだか,役に立ってしまいそうです。
本書「読みたいことを,書けばいい」は,本編と付録のコラムで構成されていますが,いずれもたいへんおもしろいです。述べられている内容は非常にわかりやすいですし,ひとつひとつが短くまとめられていて,たいへん読みやすいです。また,著者独特のユーモアに溢れた文章で,何度も笑ってしまいます。
本書は,異論はあると思いますが,このような流れで進みます。
- 自分の文章の分野を『定義する』ということ
- 自分のために,自分がおもしろいと思えるものを書くということ。他者からの評価は,目的にはならないということ
- 書くために調べること 『一次資料に当たる』『巨人の肩に乗る』
- 書く対象を愛するということ
- なぜ書くのかということ
そして,「いま,そこで」書くのだ,と締めくくられます。
わたしは思いました。これは,そのまま「ソフトウェア」に置き換えることもできるぞ,と。きっと何かを作っている人なら,自分に引き寄せて読むことができる本だぞ,と。
わたしは「自分で読みたくないようなコードを書いてはならない」ことを知っています。「一次資料(公式ドキュメントや,メーカのデータシート等)に当たることの大切さ」を知っています。つくるものを好きになることの大切さ,「自分が欲しいと思ったものを,自分の満足のいくやり方で,最高に楽しみながらソフトウェアを書き,結果的に世界を変えた」人たちを知っています。
そして,「いつか書こう」と思っているだけでは,永遠に書けないことも知っています。読み物としてたいへんおもしろいだけでなく,なんとも耳の痛い話ではありませんか。
また,本書の終盤に進むにつれて,著者の孤独,考えの根に当たる部分が現れてくるのも何ともスリリングでした。本文中にも著者のツイートにも出てくる表現で「書くことは世界を狭くすることだ」というものがあるのですが,私はずっと良くわからずにいました。それがこの本を読むことで理解できました。
筆者にとって書くことは,「まだ知らないこと,つまり無限に可能性がある『余白』にあたる部分を,調べて書くことで確定させてしまうこと」なのだと思いました。
ソフトウェアも「どう作ろうかな,あんな機能やこんな機能もあるといいな」と考えているうちは世界は広がっていきますが,実際につくることで,世界は一定の範囲に確定してしまいます。よくわかります。
Twitter 上のハッシュタグ「#読みたいことを書けばいい」を見ていきますと,たくさんの方が本書を読み,楽しんでいらっしゃることがわかります。また,感想なども短くまとめるか,読んだ人にはわかるようなユーモアで述べていらっしゃいます。わたしもそうできればカッコよかったのですが,つい,書いてみたくなってしまいました。
たいへん,おもしろかったです。